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口口ー口口     2015年11月21日[土] ─ 12月6日[日] 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

うつわが纏う「未来の途中」

 『未来の途中』プロジェクトは、今後の活躍が期待される若きクリエーターの成長を「支援」する事業である。昨年度もこの事業に参画していたのだが、正直なところ、何をもって成長を「支援」したと言えるのか、1年間で明確な答えを見つけ出すことは難しかった。そこで今年度には、これまでの制作活動で芽生えた問題意識を踏まえた展示プランを募集し、公開審査の場でのプレゼンテーションを経て、展覧会の機会を作家自ら勝ち取る、という方法を取ってみることにした。
 そして審査の日、プレセンテーションを聞いていると、それぞれのプランを語る作家たちの言葉は、昨年度よりも強く何かを訴えかけているように思われた。自らの作品を語る言葉について吟味し、万全の準備をしてプレゼンテーションに臨んでいた。これを成長と呼ぶことができるなら、「支援」の方法としてはある意味、成功だったのかもしれない。
 しかし全員のプレゼンテーションを聞き終えた頃には、私は、雄弁に自らの思考と熱意とを語った誰でもなく、その資料をなぞりながら、淡々とプランの説明を行った谷穹を推すことに決めていた。つまり、最終的な判断材料となったのは、プレゼンテーションの巧拙ではなかったのである。私が心を打たれたのは、谷の揺らぎのないまなざしであった。それは、自分の作品に絶対の自信を持っていることを、その場で耳にしたどのような言葉よりも饒舌に語っていた。

  谷はその制作活動において「古信楽」を追求し続け、ようやく室町時代のそれに自分の作るものは近づいてきたようだと言っている。彼の「古信楽」の再現についての方法論を読み解いていくと、これが非常に面白いのである。室町時代に完成した美意識のひとつの例である「能」の世界では、世阿弥が「風姿花伝」を著した時からそう変わらない「型」に基づいて稽古を重ねる。これは「能」だけのことでなく、多くの伝統芸能においては、はっきりとした「型」が存在する。まずは古典をとにかくその身体に刻みつけることで会得していくのだ。谷も初めは、これまで信楽で語られてきた手法をもとに試行錯誤を繰り返していた。しかしそれでは「古信楽」に全く近づくことが出来ない。考えた末に谷は、信楽焼の手法の一つ一つを反転させていった。そうやって「古信楽」の知られざる「型」を探していくうちに、これまで偶発的に生み出されたものだと思われていた「古信楽」の多様な表情が、実は作り手の美意識の元に作為的になされたわざであったことが、実践の中で明らかになるのである。世阿弥が「風姿花伝」の中で語る「幽玄」と同じように、やはり室町時代の信楽の人々の中には、高い美意識が根付いていたのだ、と谷は確信する。そして谷は、再現のための技術を追うだけではなく、その美意識と精神の体現を目指し、さらなる探求を続けるのであった。
 谷は窯元の生まれではあるが、まず「やきもの」ではなく「彫刻」を学んだ。谷は師である彫刻家の中ハシ克シゲから「奥行き」を学び、また「もの」が存在する空間をも意識して立体造形を行ってきた。「古信楽」の中に息づく室町時代の作り手たちの美意識を谷が感じ取ることができたのは、彼が「やきもの」への道を進む以前に培ってきたものゆえであろう。
 谷は「古信楽」が纏う空気のようなものを作りたいのだ、と語る。中ハシが、谷の作品を評して、「他の信楽にはない、清々しくさわやかな風が吹いている」と言うように、彼の技術の成熟とともに、その意識もまた、作品に表れつつあるのであろう。ゆえに自らの作品を語る谷の瞳には、彼がこれまで成し遂げてきた「古信楽」に関する技術や思考の一歩先にある、彼だからこそ出来る表現をさらに追求していこうとする強い意志が表れていたのである。
 
 成長の過程においては、誰もが迷いを持つ。その迷いを乗り越え、一歩先に踏み出すこと。それを「未来の途中」と呼ぶのであれば、ARTZONEで開催された、このプロジェクトのもう一つの展覧会のタイトルでもある「『未来の途中』の先を夢見る」という言葉はまた、一歩先の境地を見据える谷の姿にもなぞらえることができるのではなかろうか。あのときの谷のプランが@KCUAでの展覧会として実現したことが、彼自身のみならず、その展示を目の当たりにした若き作家たちへの「支援」ともなっていれば幸いである。


藤田瑞穂(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA 学芸員)

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